リベラル社畜のほぼ日ブログ

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人を褒める、人に褒められるということについて

学校の先生、会社の上司や先輩、家庭においては親や夫婦間で、たいていの人は褒められたいって思ってますよね。

 

いわゆる、承認欲求というやつです。人というのは、自分ではない誰かに褒められたりして、認めてもらうことで、自身の価値を自覚することができて、自分を保つことができるわけです。

 

かくいう、私もそうでした。けど、何故かは分かりませんが、悲しいほどに全然褒められるということが無いんですよね。

 

他の人は褒められているのに、私だけ褒められない。嫌われているのかなぁとか、誰も自分に興味がないんだとか、やばい悩んだ時期もありました。生きてる意味無いとも思ってましたよ。

 

今では、開き直って諦めていますが。ある時から、そもそも人に褒められようと思わずに、逆に褒める立場の人になろうと考えるようにしました。

 

褒められると気分が良くなったり、自分に自信を持てるのですが、そういったのは私には無いため、褒めることで気分を良くしたり、自信を持てたりするように、考え方を変えていきました。

 

なかなか、抵抗感ありましたが。やはり、どっかで褒めて欲しいと思ってしまうんですよね。

 

そういう時は、「お前は、お子ちゃまじゃないんだから。褒められたいなんて、甘えたことおもってんじゃないよ」と心の中で言うようにしています。

 

著書「嫌われる勇気」にあるように、褒める・褒められるというのは、上下関係の中に身をおくようで嫌感じを受けるよになりました。

 

誰かにほめられたいと願うこと 。あるいは逆に 、他者をほめてやろうとすること 。これは対人関係全般を 「縦の関係 」としてとらえている証拠です 。あなたにしても 、縦の関係に生きているからこそ 、ほめてもらいたいと思っている 。アドラ ー心理学ではあらゆる 「縦の関係 」を否定し 、すべての対人関係を 「横の関係 」とすることを提唱しています 。ある意味ここは 、アドラ ー心理学の根本原理だといえるでしょう 。

「嫌われる勇気」

 

無意識的にでも、こんな関係性をつくりだしていることに、少し嫌悪しちゃいますよね。まあ、誰だってこんな風に考えて、褒めたり、褒められたりしている訳ではありませんが。

 

あまりに褒められることを求め過ぎると、それへの依存心が染み付いてしまう可能性もあります。SNSの「いいね!」がそうですが、「いいね!」欲しさに、人が羨む生活を演出するために、私財を全て投じてしまったりする人も、いるとかいなとか。たぶんいそうですが。

 

こんなことになる人は、そうそういませんが、あまり他人から褒められことは欲するのは身を滅ぼしかねないので、褒められたりすれば、「あ〜良かったなぁ」というくらいにしておくのが良いですね。

 

参考・引用

  • 嫌われる勇気