満員電車という非生産的な行為
ただいま引越し検討の真っ只中でして、どこ住むにしても、東京で働いている以上は、だいたい電車通勤は付いてまわります。
電車通勤は、時間も体力も無駄に消費してしまうので、いっそのこと電車通勤しない場所に住むか、もしくは電車通勤をブログ記事を書くのに有効活用するかの2択になります。
そんなことを考えている中、今日はひさびさに満員電車に乗っていますが、やはり非生産的だと、あらためて感じております、
東京に来てから10数年経ちますか、一向に慣れることはありません。
ホント疲れます。
私が使う路線は、まだマシなのでしょうけど、これよりもヒドイ密度の満員電車で毎日通勤している方には感服します。
とてもじゃないけどマネできませんよ。
今は毎日のように満員電車に乗ることはありませんが、たまあに乗ると満員電車の無い生活をより徹底したいと考えます。
どこから満員電車と言うか明確な目安は知りませんが、ある程度の満員で、乗員同士が程良くスペースを取れるなら、かなり余裕なんですけどね。
本を広げて勉強できたり、ブログ記事を書いたりと通勤電車の時間を有効活用できるので、非生産的な時間から生産的な時間に転換できます。
けれど、みちみちの満員電車だとホントに何もできないですね。
多少スマートフォンを操作はできますが、記事を書くなんてとても出来ません。書けても背後にいる人には見られたくありませんし。
それと、これは失礼なのかもしれませんが、電車通勤している最中というのは、思考停止している気がしてなりません。
当たり前のように、満員電車に乗っていますが、この寿司詰め状態を毎日繰り返すことに違和感を感じなくなっていて、異常なことだなんて微塵も思わないわけです。
それって、ホントはおかしなコトなのですが、仕方ないと受け入れざるを得ないわけです。
悲しいことです。
満員電車ってある意味どーでもいいことですし、これに遭遇しない人生だってあります。
けれど、東京で働くとなる、これに従う以外には基本的に無くて、満員電車を避けた住居に住むには、ある程度の財力が必要です。
一般的なサラリーマンには結構厳しいですし、家族を持ち戸建を買ったりするなら無理です。
通勤電車が必須のライフスタイルなら、その時間を有効活用するべきですし、視点を考えてみれば、1日の中で集中できるまとった時間を作れるのはメリットです。
私の場合はブログですが、読書でも良いですし、オーディオブックを聞くのに利用しても良いです。
時間は限られていますから、最大化に上手く使いたいものです。
以上でーす。